長年にわたって事業を育て、ついに後継者へバトンを渡した。その瞬間、多くの経営者が感じるのは達成感だけではありません。「これから自分はどう生きるのか」という、ある種の課題です。
事業承継の支援をしていると、承継後の生き方について、事前にしっかり考えている経営者はそれほど多くありません。承継の準備に精一杯で、その先の自分の人生設計は後回しになりがちです。しかし、承継後の生活を豊かにするためには、いくつかの大切な視点があります。
事業承継後に経営者が最初に直面するのが、生活資金の問題です。毎月の役員報酬が途絶えるため、収入源の整理が欠かせません。
まず整理しておきたいのは、「承継の方法や事業の状況によって手元に入る資金の規模は大きく異なる」という点です。
M&Aで会社を売却した場合は、株式譲渡益という形でまとまった資金を得られる可能性があります。ただし、会社の規模や収益力によっては売却額が期待を下回ることも少なくなく、「豊富な資金が手に入る」と決まっているわけではありません。また、売却益には株式譲渡所得課税(約20%)がかかるため、手取り額を正確に把握したうえで資産運用の方針を立てることが重要です。不動産への再投資、分散投資(投資信託・債券)、あるいは一定額を現預金として手元に残す組み合わせが一般的です。
従業員・親族への承継の場合は、承継する側の資金力が乏しいケースが多く、株式移転のしやすさが重視されるため、贈与や価格を抑えた株式移転が中心となるため、売却益が生じないケースも多くあります。一方で、後継者が設立したホールディングス会社を通じてLBO(レバレッジド・バイアウト)的な手法で株式を買い取る「ホールディング方式」を活用した場合は、現オーナーが相応の対価を受け取れることがあります。承継スキームの設計次第で手元に入る資金は大きく変わるため、早い段階で専門家に相談することをお勧めします。いずれのケースでも、退職金の受け取り(退職所得控除の活用)、顧問契約による継続収入、不動産賃貸収入(社屋・駐車場など)、厚生年金・個人年金の受給開始など、複数の収入源を組み合わせて生活基盤を整えることが基本となります。
顧問として残る場合は、後継者との関係に注意が必要です。助言を求められるのと、口を出しすぎるのは全く別のことです。後継者が自分で意思決定できる環境を意識的につくることが、長く良い関係を保つコツです。
長年の経営で積み上げた知識・人脈・判断力は、引退後も大きな資産です。その活かし方は複数あります。
中小企業の経営支援・アドバイザーとして関わる方も増えています。自身の業種や経験を活かし、同業者や後輩経営者への支援、商工会議所や金融機関からの紹介による経営相談など、「半引退・半現役」のスタイルで社会とのつながりを保ちながら、適度な活動を続けられます。
起業・第二創業という選択肢もあります。前職での経験を活かした小規模なビジネスを立ち上げる、あるいは趣味や関心のある分野で事業を始めるケースです。大きなリスクを取る必要はなく、生活を楽しみながら社会に貢献できるビジネスを設計するのが理想的です。
地域活動や次世代育成への貢献という形もあります。NPO・一般社団法人での活動、地域経済の活性化への参画、若手経営者のメンターとなることなど、金銭的な対価とは別の「やりがい」を見出す経営者も少なくありません。
資金と役割が整ったら、次は「暮らし方」そのものの設計です。
ゆったりと地方で生きるという選択肢が、ここ数年で注目されています。首都圏を離れ、生活コストが低い地方都市や自然豊かな地域に移住する経営者が増えています。特に神奈川近郊では、箱根・伊豆・湘南エリアへの移住が人気です。都市へのアクセスを保ちながら、釣りや農業・登山など自然と向き合う時間を楽しめる環境は、長年忙しく働いてきた経営者に大きな満足感をもたらすようです。
海外でのロングステイを選ぶ方もいます。タイ・マレーシア・ポルトガルなど、生活コストが低く医療体制も整った国で、日本と行き来しながら生活するスタイルです。年金を主な収入としながらも、豊かな生活が実現しやすい選択肢として、60代・70代の元経営者に広がっています。
首都圏に残り、文化・交友を楽しむケースも多くあります。美術・音楽・料理・ゴルフなど趣味を深める時間、家族との時間、旧知の仲間との交流など、これまで多忙で後回しにしてきたことを存分に楽しむ生き方です。
どのスタイルを選ぶにしても、「健康管理」だけは共通の最重要課題です。仕事という日常のリズムが失われると、体調を崩す元経営者が少なくありません。定期的な運動、健康診断の徹底、社会とのつながりの維持は、セカンドライフの質を大きく左右します。
最後に強調したいのは、セカンドライフの設計は、承継の計画と並行して考えることが大切だということです。資金面では、売却益・退職金・年金・不動産収入の組み合わせをシミュレーションしておくこと。生活面では、「どこで、誰と、何をして生きるか」を具体的にイメージしておくこと。そして、承継後に自分が後継者とどんな距離感を保つかも、あらかじめ決めておくことをお勧めします。
事業承継は終わりではなく、経営者人生の一つの区切りです。そこから先の人生を豊かに設計できるかどうかも、承継を支援する専門家の大切な役割だと考えています。